事実と解釈 ― あなた色の世界(ものがたり)
誰かと共通の友人や知人の話をしているとき、ふと気づくことがあります。
同じ人間の話をしているはずなのに、話している人によって、ずいぶんと印象が違うものだ。
「あの人、いつも気にかけてくれて、優しいよね。」
「え、そう?私はなんか苦手だな。」
同じ人を見て、こんなにも違う。なぜでしょう?
さて、わたしたちは、いつから自分独自の
ものの見方をするようになったんでしょうか?
そもそも、誰でも生まれたばかりの赤ちゃんのころは何もわからないまま、おぎゃーと生まれてきて、まだ言葉を知らないから、それゆえ観念も何もありません。
言葉を覚えるようになり、
まわりがあなたのことを
「〇〇ちゃん、〇〇ちゃん、」
と呼ぶようになると、
「自分は〇〇だ」
と認識するようになり、
そして
少しずつ「意味づけ」が生まれていきます。
こうして
「自分」というフィルターが、だんだんとできてきます。
例えば、この自分フィルターを「色メガネ」に例えるとして、
あなたというフィルターはこんな感じだとしましょう。
生まれたばかりの赤ちゃんには、目に映った、そのままが見えているはず。
あなた独自の見え方
たとえば、ですが
「あ、子供がベンチの方に走ってる。」
「あのベンチに座ろうと思ってたのに、とられちゃった。」
なんて、思ったかもしれません。
色のついたレンズを通してまわりを見ると、
まわりの風景も、その色を通して見えます。
わたしたちも同じように、
自分の観念というフィルターを通して、あなた色の世界を見ています。
その世界は、あなた独自の物語(フィクション)です。
もしあなたが、
『世界は危険な場所だ』
そんなフィルターを持っているなら、
街ですれ違う見知らぬ人の鋭い視線に「攻撃性」を感じ、警戒心を強めるかもしれません。
まったく同じ状況でも
『世界は温かい場所だ』
というフィルターを持っていれば、その視線を単なる「好奇心」や「偶然」と捉えるでしょう。
もうひとつ例を出しましょう。
職場で上司から「少し話がある」と声をかけられたとき。
「自分はいつか見捨てられる」
というフィルターがあれば、心臓が跳ね上がり、何かミスをしたのではないかと自分を責める準備を始めます。
一方で
「自分は価値のある存在だ」
というフィルターがあれば、新しいプロジェクトの相談かなにかだろう、とフラットな気持ちで席を立つことができます。
さて、
ありのままの事実でいうならば、
街で他人からすれ違いざまに視線を向けられたということであり、
職場で上司から「少し話がある」と声をかけられた、
それだけです。
そこから先は、あなたのフィルターによって、脳内変換されたドラマが起こっています。
それはもう、自然に。自動的に。
わたしたちは、そんなフィクションの中で生きています。




