あの一行が、人生を変えた。
頭のなかが、いつもうるさかった。
「あのとき、こうすればよかった。」
「どう思われてるだろう。」
「もっと頑張らないと。」
考えているつもりでした。
でも実際には、考えさせられていたのかもしれません。
たぶん、自己肯定感の低さから、まわりに受け入れられようと「いい人」を演じ続けていた結果でした。いつも頭の中で考えをめぐらせていました。
そのころの私には、自覚はなかった。でも他人からどう思われるか、いつも気にしていたように思います。
30代になると、自分を型にはめようとし始めました。「自分の好きなことで成功する」みたいな価値観が、すごく強かった。それがゆえに、ますます劣等感が強くなったのかもしれません。
「好きなことで成功したい」と思いながら、その「好きなこと」がわからない。それが、ひどく苦痛でした。
本を読み、心理学を学び、自己啓発も試しました。
答えを探せば探すほど、新しい答えが現れます。
頭の中はさらに忙しくなっていきました。
そして、いつもこう思っていました。
頑張ってるのに、報われない。
どこにも自分の居場所がない。
今振り返ると、それは自分の思い込みだとわかります。でもあの頃はあの頃で、そう思っても仕方がなかったかな。実際に勤めていた会社が倒産したり、買収されてリストラされたり、ストレスから病気になった途端、いきなり解雇されたり……まぁ、いろいろありました。
どんどん生きる気力を無くしていきました。あの当時、私に死ぬ勇気があったら、私は今ここにはいなかった。でもそんな勇気もなかった。だから、ただ息をしていた。「消えてしまいたい。」そう思いながら…
それでもやっぱり苦しい。救いを求めて、今度は精神世界系の本を読むようになりました。でも、自己啓発本と同じく、一時しのぎにしかならなかった。情報や知識を増やしても、新たな「~しなきゃいけない。」が増えるだけだった。
そんなある日、書店をぶらぶらしている時、一冊の本が目に留まりました。そして自然に手にとっていました。そのなかの一行の言葉に目が離せなくなりました。
「思考は、あなたではない。」
頭のなかでずっとしゃべってる、この声が自分だと思っていた私にとって、この言葉はちょっとした衝撃でした。
この一方で、この言葉をどこかで知っていたような、まるで古い友人に会ったかのような、不思議な感覚を覚えました。
もちろん、その一言ですべてが変わったわけではありません。
けれど、その日を境に、「思考そのもの」ではなく、「思考との関係」を見つめるようになりました。それは何年にも渡って続くことになる、内観生活の始まりでした。
その後、ご縁があって内観から禅の修行へ切り替えて、
(私が禅僧になったいきさつは、また別の機会にお話することにします。)
修行生活の末に、私は完全に救われました。
今の私に言えること。
それは
苦しみの多くは、出来事そのものではなく、出来事に対して、頭の中で何度も繰り返し語り続ける「物語」が、苦しみを育てている。
これは、特に新しい思想ではないです。ご存知の方も多いと思います。
でも、どれだけの人がこれを腹堕ちするところまでわかっているでしょうか。
ただ、頭で知っているのではなく、腹堕ちするところまでいくと、あなたの見ている景色は、驚くほど変わります。
人生には本当に苦しい出来事があります。それを「ものの受け止め方だ」と否定するつもりはありません。
「前向きになろう」とも、「考えるのをやめよう」とも言いません。(それらもやっぱり、ものの受けとめ方や観念、です。)
お伝えしたいのは、
思考の物語に支配されなくなると、「今」を生きることができる。
(ホントは、みんな、いつだって、「今」を生きているんですけどね。)
「今」を生きることができれば、人生を本当に味わうことができる。
私の最終的なゴールは、
「苦しみを消すことではなく、人生を丸ごと味わう」ことができる人を増やすこと。
禅の教えを押しつけることはしません。
私自身が歩いてきた道を通して、考えすぎる毎日から少しだけ自由になるヒントを、一緒に探していけたらと思っています。
もし今、頭の中が休まらない毎日を過ごしているなら。
ここが、ほんの少し息をつける場所になればうれしいです。
合掌
じおん


